襖・障子・網戸の張替専門の店舗運営を行う現役金沢屋オーナーに金沢屋を選んだ理由をインタビュー

金沢屋 松江店

島根県松江市八雲町
2012年6月 開業

インタビュー時期:2020年1月

金沢屋に加盟する前の前職のお仕事を教えてください。

加盟する前は事務仕事をメインでしていました。

それ以外では主人というかもともと家業が内装業で、一般住宅ではなくてゼネコンの下請けとして公共の物件で軽天工事という部屋の間仕切りをしたりボードを張ったり、軽量鉄骨での下地組みをしていました。

事務といいましたが、最終的には現場に常駐して一緒に下地を組んだりボードを張ったりしていましたね。

昔から親たちがやっている仕事を見てきているので、最初から終わりまでの流れは大体わかって、一緒に施工するようになりました。結婚する前から資格や免許は持っていて、溶接したり、重機なんかも乗ったりできたので。

以前はどのような仕事に就かれたかったのでしょうか。

元々、農業系の学校を卒業して、本当は農業がしたくて農業の指導員などを目指していました。その当時の夢は新しい品種を作ったりとか、バイオテクノロジーとかそういう事がしたくて試験場とかを考えていましたね。

ただ、その頃に親から地元へ戻って来て欲しい、家から仕事場に通ってほしいというリクエストがあって、農協に初めて勤めるようになりました。

その後、結婚を機に親の仕事を手伝うようになりました。

ご家族の仕事を始めたのは、いつ頃のお話でしょうか。

23年くらい前だったと思います。当時25~6歳だったので。

主人も農協に勤務していたのですが、結婚して一緒に家業を手伝うことになりました。当時は建築土木業界が盛り上がっていた時代でもあったので興味はありました。
元々、休日とかは給料をもらわずに手伝いはしていたんですよ。ただ、事務系の仕事なんですけど、トラックに乗ったりはしていましたね。

逆に、旦那さんは大変だったのではありませんか。

そうですね。全く未知の世界ですし経験もありませんからね。

ただ、主人も職人気質で、手直しというか、次の施工をする人のためにはきちんと下地もしておかないといけないし、待たせるような事をしてはいけないと言ったこだわりは強かったです。 現場に合わせて進めていくんですが、たまたま他の職人さんでは出来ない組み方が出来たりもしたので、そういう元でずっとサポートしながら来ていた事もあって、「職人なら最初は誰でも慣れるまでは間違いもあれば失敗もある。けれどそれも年数で技術は昇っていくだろうし良い物が出来ていくんだろうな」というのを傍でサポートしながら見てきていました。

そのような中で、なぜ金沢屋に加盟されたのでしょうか。

自分が何かをしたいという願望はそんなに強くはなかったんです。子供もいましたし子育てもありながら、家事もしながら、仕事もしながら。。。ハッキリ言って「いつになったらこれは終わるんだろう。体の方が先に駄目になるんだろうな」と思いながら20年くらいやっていました。

そんな中で、建築業界に不況の波が寄せてきて、同業者の人も解散されたり会社を辞められたり、それから後継ぎが別の仕事に就かれたり。
一時期そういう時代があって。もう正直本当に仕事が無くなって、1年のうちに10ヶ月稼働すれば良いかなというのは昔から流れ的にあったんですけど、ゼネコンの下請けがメインだったものですから、その仕事を請けながら民間のお仕事をするということは出来ませんでした。

景気が良い頃はそういうところまで見えなかったのですが、現実的に危機に直面すると見えてくるようになって。きちんと地元に密着して、小さなものから取り掛かっていけるような仕事をしなければならないなと考えるようになりました。

そこで、商工会からの紹介でコンサルタントの方に話を聞く機会がありました。
その時に「よくこの状況の中でまだ続けておられますね」という事を言われて「普通であればもうちょっと厳しい状況ですよ」と。「やっぱそうですね」みたいな感じでしたね(笑)

それから真剣に新しい仕事を考えないといけないと思い始め、たまたま人の縁で「これ(金沢屋)出来るんじゃない?ちょっと調べてみたら?」と友達から声を掛けてもらったのがきっかけでした。

何だろうなと思って金沢屋について調べていきましたね。
それで「これは、経験も生かせて良いかもしれない」と感じたんです。

最後の最後は直感で決心しました。

ご家族には相談されたのでしょうか。

はい、一応は主人にも相談をしないといけないですし、仕事が減っているといえども元々の仕事はありましたので、私が抜けるとなると困る部分は出てしまいますからね。でも、相談してみたら「いや、良いかもしれないね」と言ってくれました。

いつ頃のお話でしょうか。

うろ覚えですが、8年くらい前(2012年)だと思います。確か、息子が高校生の時だったので。

加盟したのはいつ頃のことですか。

金沢屋松江店作業場画像

2011年12月だったと思います。 昔過ぎてよく覚えていませんが(笑)
開業したのは、翌年の6月(2012年6月)にスタートしました。

今では本部も様変わりしているかもしれませんが、加盟した当時はいかがでしたか。

そうですね(笑)
その時のスーパーバイザーが張替の職人さんでありながらSV(スーパーバイザー)もされていました。その方が全国から声が掛かって地方に出向いたりされていましたね。

あと、当時だと説明会も今のように全国的には行っていなくて、確か東京・大阪・愛知・神奈川しかやっていなかったような気がします。資料を取り寄せて、大阪の梅田で話を伺ってそのまま加盟しましたね。

加盟に際して悩みませんでしたか。

悩むというよりは、背水の陣じゃないですけど、ある意味賭けに近かったかもしれませんね。
3年間やってみて平行であればちょっと続けよう、落ちていくようだったらキッパリ辞めようと思っていました。

家業と金沢屋ではビジネスの規模感がまるで違いますが、そのあたりはどう考えていましたか。

確かに売上の絶対額は違いますね。ただ、売上云々は置いておいて、まずは仕事を切らさないという事を優先しようと考えました。
儲ける所から入っていくと、私自身がプレッシャーになりますしね。

家業の仕事が減って、パートじゃないけどほんのバイトみたいな形で飲食とか居酒屋さんなど、ちょっと試しで色々やってみたんです。掃除をしたりとか、家事もしながら。

でも、自分で立ち上げるのであればその仕事に惚れ込まないと駄目だし、それを好きにもならないと駄目で、でも嫌な事でもやらないといけない。メンタルも強くなっていないと駄目と思いましたが、私は食べる事に対してそこまでこだわりがなくて何でもいい人なので飲食ではツウになれないな、と(笑)

このあたりのエリアでは飲んだり食べたりする憩いの場が凄く減ってきているので、近所の人にはそういう場を作ってくれとよく言われたりはしていたんですけどね。でも、そういう仕事を本業にするには厳しいなと。ただお手伝いする程度でいいと考えました。

ですので、やっぱりやるんだったらコレ(金沢屋)かなと。
今まで鉄を扱っていましたが、私は木が大好きでしたし。。

小さい時からカンナを使ったりしていたんです。祖父は大工ではありませんでしたが、昔の人だったので、左官屋さんがやるような仕事だったり大工工事だったり家の事は全部自分でしていたのを小さい時にずっとついてみていたので、そういうところが私にも向いていると思ったんです。

さらには、直接「ありがとうございました」と言ってもらえるという。お金もいただきながらお客様と関わっていけることだったので続けられそうだなと考えていました。

本業の新規事業としてスタートされたのですよね。

いえ、違います。
あくまで私個人の仕事として始めました。

主人の軽天工事業/内装業の方とは一切連携していません。あくまで、家業は家業で。

今ちょっと職人さんもいなくなったり主人も体調を崩したりしていて、あえて家業の方は仕事を請けないようにしています。

もう自分が家計の主でも良いというくらいの気持ちで始めていました。
そうじゃなかったらもう何回も挫折していたかもしれないですね(笑)

8年も営業されていたら地元の認知度も高いのでは。

いえ、そんなことないんです。
この八雲町の中でも「金沢屋さんってどこ?日吉ってどこ?」という方は多分たくさんいらっしゃると思います。

今、この町内の公民館でお助け隊みたいな感じの業者がいるんですけど、そこに名前を出してもらっています。でも、「八雲の伊藤さんならわかるけど金沢屋の伊藤さんで八雲になるとちょっとわからない。」っていう方が多いですね。

私たちも、この団地では古株は古株の家ですけど、地の方というか元からの八雲の方は奥の方とかにおられて。そういう方からしてみればやっぱり新しい方にはなるんです。とはいえ、もう40~50年ずっとここにいるんですけどね(笑)

ですので、もっと色々な情報網を使って知ってもらわないといけないなというのを思っています。ただ、たくさんチラシを出してしまうと今いただいているお仕事を対処しきれなくなってしまうのと、お客様の事ご要望に応えられなくて逆に迷惑をかける事があるので、自分の許容範囲で動くようにはしています。

集客についてはどのようにしていますか。

折り込みチラシを撒いていました。その折り込みというのがポスティングと比べるとやっぱり信用度が高いですよね。

最初は、2千部出しました。私の場合、他のオーナーさんとはゼロがひとつ少ないんです(笑) 普通だったら2件くらいくれば良いのですが、このエリアだと13件くらい来るんです。

電話を切っても切っても電話が鳴って。
ただ、やはり1~2月は仕事が落ち着く時期なので、1~3月は一切チラシを出さないと決めた時が2年目くらいからありましたね。その当時は売上もまだまだ厳しい状況でしたけど。

その後は、昨年と一昨年も一度もチラシを出していません。新しいチラシすら作っていないんです。

ここ3~5年くらい前のお客様からまたリピートがあったりとか、今日午前中に納品したお客様からは紹介を貰ったり。あとは業者さんから業者さん、さらに業者さんの紹介でお仕事をいただいているケースが多いですね。

気づいた頃には「人づてに聞いて電話させてもらって」というお問い合わせをいただいたりして、それが去年から一昨年頃に増え始めてきています。

リピーターさんが比較的多いのですが、市役所のインフォメーションの所に一業種、一企業という形でタッチパネル式になっているものに載せてもらっているんですよ。最近そこからお問い合わせいただいたりする事もあったり、ホームページをご覧になってという方もちょっとずつ増えてきていますね。

チラシは出していませんが、地域の方に少しでも知ってもらえるように違った形で取り組んでいます。
ただ、「最近チラシ入れないね。待っているんだけど」っていう電話を貰った事もあります(笑)

業者さんと一般のご家庭からの依頼はどのような割合になっていますか。

全体では月に50件くらいのご依頼をいただいています。
業者さんの場合だと、ありがたいことに枚数は多いです。ただ、一般のご家庭からも件数としては同じくらいご依頼いただいているので、割合としてはあまり変わらないと思います。

多くのお仕事をされていますが、ご家族のサポートはありますか。

大体は一人でやっています。たまに主人に障子とか簡単な作業だけはやってもらったりすることはあります。

一晩で30枚くらい張り替えしたりすることも良くありますね。一日で一番多い時だと50枚くらいはあります。

開業当初は子育てが終わっていませんでしたから時間調整が難しかったのですが、今は生活サイクルを変えてうまく仕事と付き合っています。

技術的な面での工夫を教えてください。

金沢屋松江店作業場画像02

開業当時を思い起こすと、技術を確実にというか、人それぞれ向き不向きがあると思います。私は基本的にどれも好きだったのでバランス良く出来るは出来るんだけど、やっぱり慣れたくらいが奥深いなと凄く思いました。

例えば戸襖を1枚張るにも、どこからどう伸ばして手をどういう使い方をした方が一番早く上手く切れるのかとか。
人によっては寝せながらがいいとか、立てながらいいとか、枚数をこなすのにどのパターンが自分にとって一番早く出来てすんなりいくのかというのを見つけるのにだいぶ時間がかかりました。

色々とアドバイスいただくと新鮮なことが多く、人のやり方を試してみて自分に合っていれば取り入れたり、自分のやり方に戻したり。トライアンドエラーの繰り返しでした。

糊一つとっても、「なんか上手くいかないんだよね」と思いながら「ここにこれ混ぜてみたらどうなのかな」とか、急に思いつくんですよ。何も考えていない時だったりするんですけど。

そういう時間が経過しているので失敗の積み重ねで技術は向上してきたと思います。順調に進んでいっても何かどこかで問題や課題が発生の繰り返しでした。

出来ないことやわからないことがあれば私は夜中起きてでもずっとやって、駄目な時に本部に聞いたりしていました。

各オーナーさんも「わからない、すぐ聞く」ではなくて、駄目な所で本当に出来ない所までやってみてから聞いたらいいんじゃないかと感じています。

フランチャイズの良さを教えてください。

何より孤独な仕事なので、やっぱりメンタルをいくら強くしようと思っても何かがあって挫けそうになった時でも、その時にやっぱり一緒にやっている仲間が違う地域でも、内容がどうであれ「あそこも頑張っているんだ」とか、ちょっと声を掛けてまた頑張れる力が出来れば…そういう輪の中に参加できていることが良いですし、これからもその一員でありたいなと思っています。

商工会に入っていたり、建築組合に入っていたりしますが、地元の中だけで留まってしまうと視野は狭くなってしまいますしね。
そういう意味では全国のオーナーさんや各地域の色々な方たちの情報を地域に伝える役でも良いのかなと思ったりしています。

加盟されて軌道に乗り始めたのは、どれくらいの時期でしょうか。

4~5年くらいかかりました。3年目くらいまでは、全然でしたね。
4年目になったくらいには「こういう事出来ない?」というようなことに対してすぐに答えられる余裕と知識を身につけられていました。

元々やっていた家業の知識が生かせなかったかというとそんなことはなかったのですが、当時はリフォーム関係などは一切やらなかったんです。あくまで張替を突き詰めて極めるまではやらないと決めていました。

現在はリフォームにも取り組まれているのでしょうか。

はい、やっています。
最近だと、今年の三月から大きなお仕事をいただいています。
元々は1500円のチラシをご覧になってくださって張替をしたのがきっかけで、かれこれ5年くらい呼んでくださっています。
その方が実は、地主さんでマンションとかもお持ちで、退去後のリフォームもやらせていただいたりと。

便器を替えてクロスを全面張り替えして、明日鍵が手元に貰えるから先に下見に行って。自分が見てからやっぱり下請けさんとか業者さんに頼むと聞いたら業者さんも安心ですしね。

現在の課題を教えてください。

金沢屋松江店作業場画像03

張り替えで言うと、まだまだ張り替えをされたいお客様はたくさんいらっしゃると思うんです。だから、人材育成していく方向に自分も切り替えても良いのかなって思い始めています。

でも、私自身、今の仕事が好きなので、そこがなかなか上手く行かない所なんです(笑)その自分の中での切り替えをどうするのかなという。

あとは、今の仕事って機械で作るようなものではなく繊細ですし、完璧に出来たと思ってもチェックが必要なので簡単なことではありません。そうなると本当に一つのミスが信用を失う事に繋がるので、そこも慎重になっている所ですね。

今後の目標を教えてください。

地域のボランティアではありませんが、高齢化が進んでいるので、地域のためにもうちょっと張り替えを通して元気になってもらえるような空間を作るという事を続けて行きたいと思っています。

そのためにも、チラシを出していないこともありますけれど、地域の方々へ知っていただくためにもアピールしていかないといけないですね。

とはいえ、私一人で動くにも限界がありますから、行政の方の協力をお願いしたり色々と取り組んでいこうと思っています。

あとは、少なくとも3年は頑張ろうと考えています。
理由は、下の子が3年間また学校に行くんですよ。ですから、社会に送り届けるまではと思っています。

継ぎ手については今の段階では未定です。
でも、定年もありませんし、考える時間も十分にありますし、金沢屋がなくなってしまったら困ってしまう方たちもいると思っているので体が動く限りは続けようと思っています(笑)

ちょうど義理の弟が一昨年に独立したんです。そんな中で、今の金沢屋のお客様(業者さん)で「外の土木関係も頼めるお客様がいないか?」と言われた方がいたりして。
今月から弟が庭の砂の入れ替えとかする家があったり。そういう身内にも貢献して頑張っている若者にちょっと協力してもらいたいなと思っています。

だから、どういう形であれ、妹も子供が手離れしたら何か店やりたいなんてことを言っていたり。そんな身の回りで私の経験や人と人との縁を生かせるのであれば手伝っていきたいなと考えています。

長時間お話を聞かせていただき、ありがとうございました。

店舗詳細

金沢屋 松江店
島根県松江市八雲町

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